公開: 2021年4月30日
更新: 2021年5月29日
1868年、明治政府が設立され、西洋の先進諸国を真似て、日本の近代化に着手した。そのために、官僚組織を作り上げ、裁判制度を立ち上げる必要があった。官僚人材や法律家人材の養成が必要だったのである。このため、明治政府は、1873年、学制を公布し、西洋式の高等教育機関としての大学設置に着手した。この学制に示された基本方針に基づき、首都東京に大学が1878年設置された。
福沢諭吉は、明治新政府が設立される前、江戸に慶應義塾を作っていたが、明治政府が認める大学ではなかった。ここに、西洋の大学と日本の大学の基本的な違いがある。日本の大学は、政府が認める高等教育機関であり、西洋のような自治組織ではない。西洋の大学は、政府からも教会からも独立している。また、西欧社会では、大学は国境を超えた大学ネットワークに組み込まれていなければならない。
フランスには、パリ大学のような高等教育機関が、大学として存在していたが、フランス政府で働く官僚を養成する機関としては、「グランゼコール」が設置されていた。日本でも、明治初期にはグランゼコール式の高等教育機関も設立されていた。北海道に設置された札幌農学校は、その例である。しかし、このグランゼコール式の高等教育機関は、明治中期になると淘汰され、日本式の大学に変わっていった。
日本式の大学は、後に「帝国大学」と呼ばれるようになるが、東京帝国大学の次の高等教育機関である帝国大学が、京都帝国大学として京都に設置されたのは、1898年のことであり、東京大学が設置されてから20年が経っていた。その後、私学系の高等教育機関も、大学として認定されるようになった。
大学の誕生(上)、天野郁夫、中公新書、2004